ジンギスカンは義経なのか [雑談ネタ#28]

源義経は日本の国民的英雄の一人とされ、悲劇の英雄=義経に寄せられる人気は根強いものがある。
そのためか、義経は奥州平泉・衣川の館で藤原泰衡に殺されずに行きのび、北海道を経由して中国大陸に渡り、元の始祖・ジンギスカンになったという説が、まことしやかに語られるようになった。


根拠として次のような点が挙げられている。
(1) 『大元史』では、義経の死んだとされる年から7年間の「成吉思汗伝」の記録が不詳ということになっている。その間に義経は海を渡って遊牧民を平定したのではないか。
(2) 元の帝室は、源氏と同じ“笹りんどう”を紋章とした。軍旗も源氏と同じ白旗である。
(3) “元”は源氏の“源”と同じ音である。

ところが、この説には致命的な欠陥もある。
それは二人の体格の違いだ。ジンギスカンが七尺を超える大男であったことは広く知られているが、義経はそれとは似ても似つかぬ小男だったという。遺されている義経の甲冑から推測すると、その身長は五尺にも満たないらしい。
しかも鎌倉幕府が出した義経の手配書には「反っ歯で顔色は青白い」と記されている。咳ばかりしていたというから、肺結核にでもかかっていたのではないだろうか。その実像は後世に語り伝えられた美男の若武者のイメージとはかけ離れていたようだ・・・残念ながら。