花札の先祖は西洋かるた [雑談ネタ#50]

その名のとおり花鳥風月を美しくデザインした花札が登場したのは、文政・天保年間(1818〜1844)。その原型となったのは、明和から天明の頃(1764〜1788)にかけて最も普及した48枚1組の「天正かるた」。1組の枚数は花札と同じだが、花札が12種4枚に対して「天正かるた」は4種12枚だった。
“ピンからキリまで”という言葉は、「天正かるた」の1をピン、12をキリと呼んでいたことから来ているらしい。

実は「天正かるた」は75枚1組の「うんすんかるた」なるものから発展した。
「うんすんかるた」は元亀・天正(1570〜1592)の初め頃に「西洋かるた」として渡来したもの。ポルトガル語で“うん(un)”は1、“すん(sum)”は最高の意。“うんともすんともいわない”という表現の由来となった。


花札が誕生すると、その賭博性とも相まって大流行し、天保年間には販売が禁止されたことがあるほど。そして明治に入って海外からトランプがもたらされるまで、庶民の娯楽の王様的存在だったようだ。