ずっと高嶺の花だった白米 [雑談ネタ#81]

わが国に稲作が伝えられたのは、縄文時代の終わりから弥生時代の初めにかけてといわれている。最初は大陸から北九州へ入ってきたようだ。

室町時代までは、一般庶民はアワやヒエを食べていたし、貴族たちもアワを混ぜた玄米を食べていた。つまり米はまだ国民の主食ではなかった。

ようやく白米を食べるようになったのは、江戸時代明暦年間(1655〜57)の頃から。ただし将軍家や大名、富裕な商人たちに限られていた。
とはいえ武士でさえも、その大半は米7分、麦3分の麦飯を食べていて、米の配合比が多いほど生活程度が高いとみられていたらしい。


日本人のほとんどが麦の混ざっていない真っ白なご飯を食べるようになったのは、じつは戦後10年近く経ってからのこと。
2016年時点で国民1人当たり1年間に約55キログラムの米を食べているが、毎年減少傾向にあって、ビーク時の1960年代の半分以下に低下してきており、日本人の米離れは深刻といえる。