いつの世もいるたかり役人 [雑談ネタ#89]

役人とわいろ供応は昔から付き物か…。
江戸時代の将軍吉宗の頃などは、新田開発が進み、検地役人が各地の村へ頻繁に入ってきた時代だった。
検地役人の仕事とは、田畑の地積を計り、土地柄によって上・中・下などの田品を定めること。その査定によって貢米量が決まるわけで、検地役人と農民の関係はさしずめ、現代の税務署員と納税者のようなもの。

むろん、農民のほうも、あの手この手を使って役人に手加減を求める。
なんといっても一番手っ取り早いのは供応であることは今も昔も同じ。
検地が終わると、村役人は検地役人を「中食(ちゅうじき)」でもてなす。もちろん酒肴つきだ。はじめは遠慮がちに箸をとっているが、酒が回ってくると遠慮もかなぐり捨ててしまう。
武士といえども、天下泰平の時代では一介のサラリーマン。酒肴に満足すれば頬もゆるみ、酒肴が不満だと渋い顔を見せる。
その結果、一度査定したはずの石盛(こくもり)を“修正”してくれる。


杖突の酔はれた所盛直し、という川柳がある。
「杖突」とは検地役人、「盛直し」とは査定の修正を指している。
まさに江戸時代の役人像を的確に捉えている。